1.白の宇宙
それはまるで、まっさらな雪面に足跡をつけていくような心躍る開拓。
失敗も成功も、その行い全てが確実に刻まれ、存在し続ける空間。
無数に散りばめられたスペースデブリさえも、我々の立場を嘲笑うかのように。

世界的に有名な宇宙開発事業団体、ホワイト・オブ・スペース。
その組織のトップに君臨するトロイアー・ユピテルは、部下を待ちながら事前に届けられた書類に目を通していた。
書類には、今後の宇宙開発における計画と、物資内容、それらに携わるメンバーなどが記載されている。
現在、着々と進行している火星のテラフォーミングに本格的な着手をするため、一つの宇宙開拓チームを解散し、火星専属チームの再結成を要求したのはつい最近のことだ。
それから一ヶ月と経たないうちに、大掛かりな人事異動が行われ、それぞれの移動部署が決まった今でも、社内は妙な慌しさに包まれている。
そんな中、火星専属チームのリーダーに名乗りを上げたテナー・リートンが社長室のドアを叩いた。
入室を促されたテナーが一礼すると、トロイアーはさして驚きもせず、まるで彼が来ることを予知していたかのような表情を見せる。
「やはり、君が代表となったか」
もっともそんなことは、事前に提出された計画書に目を通せば分かることなのだが。
案の定、とでも言うべきか、机に置かれた書類を人差し指で叩きながら、トロイアーは続ける。
「大まかな内容には目を通した。分析は完了しているとはいえ、火星は未だ未知数だ。未開拓の大地を扱うのは容易ではないだろう」
「はい」
「第一段階までの詳細を聞かせてくれ」
言って、椅子に背を預け腕を組んだトロイアーは、静かに目を伏せ、これから話される内容を記憶するために集中した。
社長の傍らで書類をまとめていた秘書も動きを止め、辺りは静寂に支配される。
「では、火星での活動内容をご報告します」
計画が静かに語られ始めた。
「まずはマスドライバーを設置し、物資搬入ルートを確保。
その上でドームの建設に入ります。
その後は、このドームを活動拠点として研究に取り掛かるつもりです。
中には幾つかの建物を建設し、ドームの内側に人間が生活できるレベルの区画を作り出すことが第一段階の目的となります。
いわゆる、一時的なパラテラフォーミングという形になりますが、ドームの成功により得られるものは多く、今後の計画にも影響してくるでしょう。
現存物質を用いた実験としては、実験過程において、現存物質を起用しての生命育成を行います。
こちらは、植物の成長が確認されしだい、次の実験に移行する予定です。
ここまでが第一段階となります」
「そのドームはどれくらいで完成する予定だ?」
「それは、現段階では何とも言えません。実際に火星に降り立ってからの検討となります」
「うむ。では、以後この件は全て君に任せよう」
言葉を切り、トロイアーは机に広げられていた火星チームの資料を束ね始める。
「現地で問題が発生した場合は、直ちにこちらに連絡をするように」
「はい」
「私からは以上だ。活動に向けての準備に取り掛かってくれ」
深く一礼したテナーが踵を返し、社長室を後にする。
その後姿を見送りながら、トロイアーはふと思い出したことを口にした。
「リートン。確か、彼の息子だったかな、SG社に身を置いていたのは」
「ええ。自作のスペースシップで飛び立った二名は消息不明となりましたが、地上に残ってオペレーターをしていた者の一人が彼の息子、パラス・リートンとの話でしたが」
誰にともなく呟かれた声に応えたのは秘書だ。
「唯一残された者、か。しかし会社はまだ潰れてはいない」
「そのような話は聞きませんね。ただ、最近は活動の噂もめっきり聞かなくなりましたけれど」
「・・・・・・」
SG社。
それはあまりにも小規模な、会社とも組織とも言えない集まり。
サークルを作るように簡単に作られた、ただそれだけの。
しかし惜しいのは、その社会的知名度。
何かと敬遠されることの多いこの業界において、メディアとも、人々とも、隔たりのない関係を築き上げた実力。
彼が会社を生かすのか殺すのか、どちらを選んでも構わないが、しかしどちらにしても、彼の意思は確かめたい。
早急に。

社長から依頼を請け負った秘書は早々に行動を開始した。
パラスとの接触をはかるため、手始めに開発チームに誘いをかけてみる。
これに乗ってこなければ、少なくともSG社を潰す気はないと考えていいでしょう。
開発チームからの返信は反応なし。
まだSG社を名乗る気はあるようですね。
さて、これから彼はどう動くのか・・・。
数日後、復活したSG者の会見が放送される。
やはり立て直してきましたね。
メンバーは、ユニ研――大学のサークルですか。
インパクトとしては弱いですね。
こちらからの誘いを断る理由は特に無し。
リートンを慕っている人物も多いようですし、そちらに回ってもらいましょうか。
我ながらすばらしい根回しですね。
SG社買収計画、これにて完了。

彼は現れるたびに、現在の科学力では実現不可能な夢物語を語り、その度に、小さな解決を大きな進歩に結び付けてきた。
その振る舞いを目にするたびに、ふと、昔の友人を思い出した。
トロイアーにとって、アーリアは、リートンよりも特別な存在だった。
例え周囲が、リートンの息子が絡んでいるSG社と報道しても、彼にとっては、アーリアの孫が絡んでいるSG社と映った。
デメテール・アーリア。
かつては宇宙開発に携わり一目置かれる存在だったが、いつからか宗教的な観念で物事を測るようになっていった。
そんな彼を人々は畏怖し、あるいは熱狂的に崇拝し称えたのだ。
結局彼は、最後まで変わり者の学者だった。優秀すぎて、思考回路が特殊だったのだ。
その博識ぶりは、残された著書の多さからも伺える。
取り上げられた内容はどれも興味深く、学者の間では、今でもそこに答えを見出す者がいる程だ。
彼の最後の著書に、こんな言葉が残されている。

『繁栄を願うなら改革が必要だ。
 開発を成功させたいなら、全てを壊すことさえ厭わなぬ従順な覚悟を。
 必要なのは微細な成功ではなく、世界への反逆。
 戦いの末にある光明だけが、更なる発展への礎となろう』

この文章を、人々は酔狂と笑うだろう。
彼の思い描いた世界を知らなければ、私とてその一人だったかもしれない。
彼の描いた未来を、信じなければ――。

SG社に開発メンバーを就任させるにあたり、ホワイト・オブ・スペースの社長自ら足を運んだことに誰もが驚いた。
今後のSG社について、ケレスの残していった計画書を読み上げるパラス。
やはりそこには、現在の科学力では実現できないような夢物語が記されていた。
だが、目的は高いほうがいい。
そして最後の一文に達したとき、トロイアーの目は驚愕に見開かれることとなる。
特別の言葉として同等な意味を持つアーリアの血がそこにあった。
初飛行で消息を絶ったケレスの行動にさえ意味があると感じさせられる一文。

『繁栄を願うから、僕は世界を裏切る』

その瞬間、ホワイト・オブ・スペースの方針が変わった。
SG社が思い描いた未来を実現させたいと強く思うと同時に、彼らの意思を摘んでしまわないように、パラスを社長に任命させることを決意した。
今後のすべてを、ただ一人残された創立メンバー、パラス・リートンに預けるつもりだった。
結果、その事実は誇大な表現で世界に広がり、SG社は今以上の注目を浴びることとなる。

最後に。
我々のSG社への介入は、買収ではない。
提携である。

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