P×C Game_feat.鈴里ゆず_02

太陽が傾きかけていた。
その瞬間、全ての固定概念が覆される。
白羽の矢を立てたのは――。

始めはただの気まぐれだった。
目が合っただけかもしれないし、何かを聞いたのかもしれない。
それさえも覚えていない程度の記憶。
ただ、その時初めて本気で人を殴った。
平伏すように倒れ込む姿が視界を掠める。
吐き出された呻き。
挑発的な視線。
多分そこで恨みを買ったんだ。
倒した相手が悪かった? いや、そうじゃねぇだろ。
後はただ、己を倒そうと刃向かってくる輩と戦って、戦って、ただひたすら勝ち続けた。
一つ潰すごとに自分の名が広まっていくのを感じていた。
相手がどこの誰かなんて関係なかった。
挑戦を受けずに逃げることは負けだと思った。
そして、噂が大きくなるごとに強くなることへの執着に駆り立てられていった。
『足元に築き上げた屍の頂点で月光を浴び、返り血に濡れた右腕は天に突き出される。
 獣のような勝利の咆哮、黄金の髪をなびかせて赤い目を滾らせるその姿は、まさに闘神』
その噂が届いた時は、腹を抱えて転げまわった。
それまで目の色変えて追っかけてきたヤツに敵わないと悟った途端化け物扱いだ。
まぁ、そんな噂が流れたところで喧嘩を売ってくる輩は後を絶たなかったが。
次第に孤立していく中で、徒党を組む輩に対する疑問すら感じ始めた。
頭が倒れれば共倒れするような仲間を集めて悦に浸り、強者に付き従うことで己が強くなったと錯覚する。
それで互いを補っているつもりか?
徒党を組むことで獲られるものは何だ?
たった一人のイレギュラーで簡単に崩れ去る絆を掲げて何を守れる?
その絶対的な自信は――。
だから壊して回ったんだ。
爽快だった。ああ、爽快だったよ。
だがそれも長くは続かなかった。
名が広まるにつれてまともに外を歩けなくなったのだ。
それもこれも全部あの妙な噂のせいだ。
しかしヤツ等も、容姿の似た人間を片っ端から標的にするほどバカじゃない。
だから時間を限定した。
活動時間は夕方から深夜、それ以外の時間には決して現れることはないと印象付けた。
それから名前で特定されるのを防ぐために自ら『闘神』と名乗ることに努めた。
問題は日中だ。
学生がまともに歩くには余りに不便すぎる世界だった。
その上、周りの目ばかりが気になって無性に暴れたくなった。
だから変装した。そしてその変装が度を越した。
ただそれだけのことだった。
どこかで会った誰かが必死に誰かを探している、肩を揺らし血眼になって。
目が合った。いや、目を合わせた。
相手は俺には気づいていない。
薄く笑ってすれ違っても、奴等は俺に気づいていない。
自分という存在が曖昧になっていくのを感じていた。
そんな時に、あいつと出会った。
路上にたむろする輩も消え去った、深夜の暗がりに揺らめく人影。
規則的に聞こえていた足音が不意に、後込みしたように立ち止まった。
「闘――神……?」
畏怖を含んだ声。
思わず拳を握り締めた。
噂どおりの眼光を向けた。
「やっぱり!! ね、ね、僕のこと覚えてる?」
「――」何だコイツ。
一撃で仕留めるつもりだった。
だが、相手の物怖じしない態度に手が止まった。
「どうしたの? どうして手を止めたの? 殴りたいんでしょ? いや、むしろ殴ってくれよ。早く! ほら、早く殴れよ。ハアハア……」
「……」何、何コイツ、キてんの? ホンモノなの?
「そうか、興奮するからか。殴ると僕が興奮するのを知ってるから誰も僕に危害を加えないんだ、そうだろう? そうなんだろう?」
「……」そんなことは知らないし、もう既に興奮気味だと思う。
ただその発言で、鈴里の戦意は喪失していた。
「ああ、なるほどね。時と場所を選ぶんだね」
踏み出された一歩に思わず後退しそうになるのを抑えていたら、伸びてきた手を振り払う動作が少し遅れた。
冷たい割りにやけに汗ばんだ手に捕まれたかと思うと、何かを握り締めさせて来る。
「切り捨てる人間と協力する人間を量り間違えないようにね」
一瞬だけ、まともな顔をしたように見えた。
「それじゃ、全国制覇がんばってね。喧嘩番長!!」
そしてワケの分からないことを言って去っていった。
良くしゃべるヤツだと思った。ほんの少し、恐れたかもしれない。
腕の辺りに嫌な感触が残っていた。
我に返った鈴里は、無理やり渡された紙切れのようなものを投げ捨てた。
それから数日後、大した役にも立ってない携帯が珍しく呼び出し音を鳴らした。
電話だ。番号は未登録、だが非通知じゃない。果たし状代わりの電話にしては妙だ、などと考えながら通話ボタンを押す。
「どうして来てくれなかったの?」
消え入りそうな声だった。だが、僅かに聞こえてきた言葉のイントネーションで把握した。
あの変態だ。
出なければよかったと後悔した。倒してきた相手の中に知り合いでもいたのだろうか。
「闘神の噂、日に日に増しているみたいだね。このまま都市伝説にでもなるつもりなの? それとも、誰かの為に噂をなぞっているのかな」
「――」
『噂をなぞる』その台詞一つで、どこかに疑問が生まれた。
「そうだ。明日僕の家に来てよ。今から住所と場所教えるからね」
長々とした説明を、相変わらずの早口で捲くし立ててきたが、結局適当に聞き流して終わった。もとより行く気など無かった。
「絶対に来てよ。もし来てくれなかったら――東京湾に――いや、今のは忘れてくれ」
「――……」バラされる!!!
「それと一つだけ言っておくよ。どんなに手強い相手でも、僕が勝てる世界があると――」
電話は唐突に切られた。
不覚ながら、あの変態に少し興味を持った。だが正直のところ、これ以上関わりたくはない。
当然のごとく、その話は無視してやった。
これで全て終わり。
深夜遭遇した変態とのやり取りもなかったことにしよう。
好き好んで俺みたいな人間と個人的な関わりを持ちたがる輩など存在しないのだから。
しかし、それだけで終わらなかった。事態は想像以上に深刻だったようだ。
携帯が着信を告げる。
「どうして来てくれなかったの?」
前回と同じ言葉。妙に落ち着いた声音に寒気がした。ダメだ、完全に目をつけられた。
「じゃなくて……実は、闘神の情報を晒している奴らを発見したんだ!」
「何?」
妙に切迫した雰囲気に思わず反応してしまった。
「今から詳細を送るから、対処は任せるよ」
程なくして、ご丁寧に添付ファイル付きの位置情報が送られてくる。
歩いていけない距離ではない。
憂さ晴らしに暴れてやろうと目的地に向かうと、予想に反してそこは普通の住宅街で、到着と同時に見計らったように携帯が鳴った。
分かりきった発信相手に仕方なく通話ボタンを押すと、芝居がかった口調で語り始める。
「来ると思っていたよ、闘神。その携帯は既に僕の支配下にある。少し強引だが、闘神の位置情報を正確に把握するためにジャックさせてもらった。ちなみにここが僕の家だ」
だ、騙された!!
「そしてこの僕こそが、闘神の名付け親にして闘神まとめサイトの管理人、大崎千尋である!!」
な、なんだって!? 情報を晒した張本人じゃないか。一体何が目的なんだ。変態にも程がある!!
深入りする気などさらさらなかったが、ここまで来て引き返すのも癪に障る。
鈴里は悩んだ挙句、半ば呼び出されるように導かれた家のチャイムを押した。
待ってましたとばかりに勢いよく開かれるドア。
「――あ、の……。もしかして琴の知り合い――」
しかしその姿を視界に納めた大崎から途端に勢いがなくなった。
「は?? 何それ? そっちが先に呼んだんじゃん」
「あ――……」
ソレはそうだろう。予想していた人物とは別の人間が尋ねてきたのだから。
「こっちも暇じゃないんですけど」
本心だった。
そもそも深入りするつもりなどなかったし、厄介ごとは今直ぐに片付けたい。
それから何かしらの葛藤があったらしく、数分間の沈黙の後、最終的な結論は結局半ば強引なこじつけだった。
自分に言い聞かせるように吐いた言葉で一人納得すると、下らない問答が暫く続く。
次第に返事をするのも面倒になって、その場しのぎの返答を返してしまったが、内容なんてほとんど記憶していなかった。
以来大崎は、勝手に闘神の状況を探っては情報を公開し続け、その度に釣られたヤツから果たし状が届いた。
気が付けばそんな状況が当たり前になっていた。
一体どこで選択を誤ったというのだろうか?
…………。
………………。
不意の着信、表示された大崎の文字に悪夢が呼び起こされた。
どうやら依頼した情報が手に入ったようだ。尤も、その情報の出処も探し出した人物も特定する術などない。
結局大崎という人間は、最初から胡散臭くて信用できないヤツだったんだ。
反射して窓に映った自分の姿が、見知らぬ誰かの様な気がして思わず目を反らした。
とにかく今は、情報を受け取りに行くべきだ。

 feat.鈴里_02【彼はまだ、そのエラーに気づいていない】 完。